英国テレビ文庫itvコレクション名探偵ポワロ徹底解説 名探偵ポワロ徹底解説TOP 英国テレビ文庫itvコレクション特設サイト

1946年5月2日、ロンドン生まれ。学生時代、彼の才能を見抜いた教師の薦めでロンドン演劇学校へ進む。やがてロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの一員として舞台で成功を収め、映画とTVでも活躍するようになる。その一つに、ジャップ警部を演じた1985年の米TV映画『エッジウェア卿殺人事件』があった。偉大な先達、ピーター・ユスティノフが演じたエルキュール・ポワロを見て、彼は自分もこの役を演じてみたいと感じたと云う。そして翌年のBBCのミニシリーズ『BLOTT ON THE LANDSCAPE』の出演において口髭を生やした便利屋役を演じたことが、運命的とも言うべききっかけとなる。この役の風貌にインスピレーションを得た同作品の製作者ブライアン・イーストマンと、アガサの娘ロザリンド・ヒックスに見込まれ、彼は偉大な探偵役のオファーを受けたのである。

100カ国以上で7億人が観たと云われるこのシリーズの成功は無論、彼のみならず数えきれぬクルーとキャストの努力の賜物であろう。だがここでは、その努力が支えた"偉大なるポワロ"を象るスーシェの功績を二点、挙げておきたい。 オファーを請けた彼が役作りに邁進した努力はつとに有名だ。まず、ポワロの人物像を俳優として私的にアレンジするのではなく、クリスティが意図したものを正確に再現したいと原作を徹底して研究し、特徴的な容姿や様々な仕種、独特の話し方からベルギー訛りのアクセントまでポワロに関する特徴を93項目ほど拾い出し、更に文書から判じられるポワロの三次元的な表象や行動、考え方を役づくりしていったそうだ。太る為の大量の詰め物やトレード・マークの付け髭、小刻みな歩き方などはよく知られているが、ポワロの絶え間ない頭脳活動を思わせるため、役では常に"頭から声が響いている"様に高い声で喋っていたことをご存知だろうか。彼は日本のファンの前でその証に、本来の低目の地声から少しずつ高め、1オクターブも上がったのではと思えるところで、「これでポワロの声になりました」と微笑んでみせたのである。
しかし、彼の功績は、このよく言われる"原作そのもののポワロの再現"を越えたところにあると敢えて言っておきたい。原作者も感嘆したアルバート・フィニーの威厳、それとはむしろ正反対のところにポワロを引き寄せたユスティノフのユーモア。これらのベクトルはスーシェも持ち合わせている。スーシェはポワロを立体化させるところで、文章から新たなエッセンスを導き出した。自分の偉大さを謙虚なく述べる威厳。その過大さゆえのギャップからこぼれるユーモア。有言実行を納得させる論理と倫理に基づく知性。相反し消し合ってしまいがちなこれらの要素をスーシェは見事に、一人の人格の中に融合・昇華させた。これはひとえに、デビッド・スーシェという人間の品性によるものだと思う。ドキュメンタリー等でスーシェ氏自身を御覧になった方は思い当たるのではないだろうか。優と知を偲ばせる普段の柔和な言動と物腰、過剰な暴力描写など偏った表現を嫌う俳優としての顔、更には礼儀と型を重んじる日本への親和性など、質実の一途をたどる彼の素顔のジェントリーは、一個の完成した人格を思わせる。それ故に、スーシェのポワロは威張っても嫌味でなく、見栄や体裁を繕う様が微笑ましく、その知性に敬意を抱かせるのだ。彼はよくポワロの魅力を、クリスティの言葉"TWINKLE"を引用して表現するが、この人間的な可愛らしさと知の凄さのバランスが、正にその"煌き"なのだろうと思う。何となれば、鼻持ちならないポワロにはもうウンザリだと筆を置きかけた作者が、もし永らえてスーシェのポワロを観たなら、きっと我々が感じているのと同じくそのチャーミングさを愛したに違いないと思うからだ。

そしてスーシェのもうひとつの功績とは、25年のときを歩みポワロを演じ続けたことにある。如何にヒットシリーズと言えども、ひとつの役を四半世紀にわたって続けるのは容易ならざることだ。古典ミステリの正当な映像化としてTV史に残る傑作の先達、かの『シャーロック・ホームズの冒険』においては真に不幸な悲劇としか言い様のないジェレミー・ブレットの病と死により、シリーズは原作の7割を消化したところで途絶えた。その後、替わりの俳優を立てて完結させるという試みは為されていない。勿論その他の事情もあるだろうが、前任者が偉大であればあるほど、主演交替の可能性は乏しくなるものだ。
スーシェは見事に、25年かけて原作網羅の悲願を成し遂げた。それは演じ続けたということのみならず、見事にポワロを"演じ上げた"のだ。例え25年のリアルタイムでなくとも、第1話から最終話『カーテン ~ポワロ最後の事件~』のクロージングまで見通した方ならば、そこでポワロという人生が完結し、ひとつの世界を築き得たことに、異を挟むことはないだろうと思う。

デビッド・スーシェ氏の偉業に、心から拍手を贈りたい。
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