戦後80年、映画とドラマがつなぐ記憶 戦後80年、映画とドラマがつなぐ記憶

終戦から80年の節目を迎える、2025年8月15日。
「WOWOWプラス」と「映画・チャンネルNECO」は、多くの戦いと犠牲を払った過日に思いを馳せる映画やドラマを特集放送いたします。
さらに2チャンネル共同企画として、チャンネル担当者がピックアップした選りすぐりの作品を、映画評論家・吉田伊知郎氏が紹介。

WOWOWプラスからは、中沢啓治が自身の被爆体験をもとに描いた反戦漫画をアニメーション映画化した、語り継がれるべき名作『はだしのゲン(1983)』を、映画・チャンネルNECOからは、池松壮亮、仲野太賀出演。軍部が学校に圧力をかけ、中学生を「軍国少年」に変えていった真実の物語『NHKスペシャル 終戦特集ドラマ 15歳の志願兵』のコラムをお届けします。

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WOWOWプラスでは、太平洋戦争下に生きた人々の実話に基づく映画・ドラマ6作品を特集放送。
死を覚悟して戦場へ向かったが、ただひとり生き残った実在の元軍人・酒巻和男少尉を青木崇高が演じたドラマ『真珠湾からの帰還〜軍神と捕虜第一号〜』、竹野内豊ほか日米の豪華キャストが共演した戦争映画『太平洋の奇跡−フォックスと呼ばれた男−』、原爆焦土と化したヒロシマで、たくましく生きぬく少年・ゲンを主人公に戦争の虚しさと希望を描いた劇場版アニメ『はだしのゲン(1983)』『はだしのゲン2』ほか、太平洋戦争下に生きた人々の実話に基づく6作品をお届けします。

8月のラインナップ

コラム

『はだしのゲン(1983)』

累計発行部数1000万部を突破する『はだしのゲン』は、今も読みつがれる反戦漫画の傑作だ。メディアミックスも早い段階で行われており、1976〜1980年にかけて実写映画3本が製作されている。続いて1983〜1986年にかけて劇場用アニメーションが2本製作された。いずれも原作とは大きく印象が異なるところからして、漫画の『はだしのゲン』を、実写やアニメーションに置き換えることは困難なようだ。そのことは作者の中沢啓治が最もよくわかっていたようで、中沢自身が一部製作費を出資し、脚本も自ら手掛けた本作では、漫画でも実写でもなく、アニメーションでなければ表現できないものを追求した作品になっている。

単行本で言えば1〜4巻を映像化した本作は、戦時下の生活を経て、原爆の被害、戦後の生活が描かれる。しかし、これだけの内容を83分にまとめるのだから、原作の濃厚な味わいを完全に再現するのは難しい。そこで中沢はエピソードを整理しつつ、本作で何を描こうとしたのかを明確に示す。それは、原子爆弾が投下されたことで何が起きたか――に尽きる。
1945年8月6日午前8時15分、広島上空600メートルの上空で核分裂が発生し、火球が出現。爆心地周辺の地表温度は摂氏3,000~4,000度にも達したという。だが、この数値だけを見ても原爆の威力を実感することはない。市井の生活を送る人々の頭上に、原爆が投下されたことで何が起きるかは、映像によって補完してもらわなければ想像力が及ばない。本作の原爆描写の凄まじさは、言葉に言い表せない。今、この瞬間まで生きていた人間――老いも若きも赤ん坊に至るまで一瞬で消失して存在が消えてしまう。中沢はその残虐な瞬間から目を逸らさない。投下後の地獄絵図のような街で被爆者たちが苦しむ姿からも目を逸らさない。これらの映像を前にしたとき、なぜ原作者自ら本作に携わったのかが理解できるだろう。原爆の凄まじさに最も接近できる表現がアニメーションだったのだ。事実、バトンを繋ぐ映像作品は現代においては現れていない。

昨年、『オッペンハイマー』の原爆投下の描写が希薄であるという批判があったが、『アバター』のジェームズ・キャメロン監督は、広島と長崎で二重被爆した日本人を主人公にした作品を準備しており、原爆が投下されて何が起きたかを徹底的に映像で表現することを表明している。それが実現したとき、戦勝国側から描かれる原爆のリアルな描写として、本作のバトンはようやく受け継がれるのではないか。
最後に個人的な話をひとつ。本作を観ていたとき、2歳の息子が側に来て一緒に観始めた。前半のゲンと弟の進次が病弱な母に鯉の生き血を飲まそうとして盗み出すくだりなどは、ケラケラと笑って観ていた。しかし、原爆投下直後の場面からは黙り込んでしまった。まだ意味もわかっていないだろうが、酷い出来事が起きたことは、どうやら察したらしい。見せるのが早かったかと心配したが、ゲンが再び快活に動き出すと、息子もまた笑いながら画面を観ていた。アニメーションが持つ意味と普遍性を感じる瞬間だった。

文/吉田伊知郎(映画評論家)